関信義 最後の展示会 初日

2011 年 10 月 15 日 8:23 PM /by Chiharu

今日から始まりました!

新しいサンプル展示しております。

関さんから届いたばかりのサイドレースブーツ

DU PUYの紫です♥

img_6838

明日から! 〜関信義 最後の展示会〜

2011 年 10 月 14 日 3:36 PM /by Chiharu

e996a2e38195e38293e383a9e382b9e38388-hpe794a8

はじまり!!!

2011 年 10 月 12 日 8:45 PM /by Oguri

某鞄屋を辞め、ひょんな事から名古屋に少し行っていました。この時の出会いは良い出会いも悪い出会いもどちらもでしたね。

なので、また気が向いたときにでも書きます。

名古屋にいるときから、スーツ、シャツの工場、職人との出会いを求めしょっちゅう大阪、京都に戻っていましたね。

そして、しばらくして修理屋さんの紹介で、スーツのメーカーさんと出会いました。まぁ、間が入っての商売です。

右も左もわからなかった僕。今でこそ、えらそうに話していますが、英国の生地ブランドの名前なんかほとんど知らないし、

生地の特性やスーツの型紙、縫いなんて全く分からんかった時です(笑)仮縫いの補正なんかも、メーカーさんの人に適当に

教えてもらい、ほんま適当に着せ着けしてました(汗)シャツもそうですね、何かおもろい生地、タイトなデザイン。

この頃は、ほんま無知やった〜〜〜(笑)2000年9/25にオープンした時のスーツで思い出すのは当初は、まだテーパードとフレアーの狭間にいた事。そして、えらい衿が小さかった事ですね。この当時、僕もかなりフレアーに抵抗があって、ウールの生地はテーパード、綿の生地はフレァーと分けていましたね。

展開してた靴は、仮縫い付き(本番の革)の木型に乗せ甲する補正のオーダーで注文を取っていました。

当時は、オリジナルの木型の製作に意欲がなく、関さん個人の所有する木型をベースにさせてもらってました。

皆さん九分仕立てのグットイヤーがほとん。出し縫いの糸の色変えたり、ハンドステッチの装飾をしたり、まぁ当時から関さんには少し変った靴を作ってもらっていました。

既製品のテント地のジャケットとパンツ(セットアップ)を展開していて、これが凄く売れたのを思い出します。今でも大事に着てくれているお客さんにも最近会い、少し恥ずかしさ気分にもなりましたね(笑)

で、このときに靴での一回目の転機が訪れます。普通のグットイヤーウエルトでは、何か飽きてきたんですね。パンツの裾も本格的にフレァーに移行すると、靴のボリュームが足りない気がしてきて(笑)で、ノルベジェーゼを主流としていました。三本のチェーンステッチ。これを糸染めしてもらい色んな色の組み合わせを楽しんでいました。積み上げの形状を変えたり、つま先の形を革をパテ代わりに張って色んな形を提案してました。かなり個性的なトゥを作ってましたね。そのときに、今のうちの木型(sin-3)のベースが出来上がりました。隠し縫いのセンターレースのブーツ、サイドレースブーツ、バンプと色々

考えて提案してましたね(笑)

今でこそ華奢もんの靴ですが、当時は全く逆で、ノルベの結構インパクトのある剛の靴とでも言いましょうかそんなの展開していました。

関さんの靴は、どんどん手の込んだ靴が出来上がって来るのに、スーツは全然これ以上、上は望めない。それが僕のジレンマでした。メーカーにハンドの部分をもっと加えてくれとか、もっとこうならんのかと投げかけるものの、今はこれが精一杯ですの返答のみ。

これが、どうしても我慢ならず色々職人さんを探していた所で、僕の友人の方が一人の職人さんを紹介してくれました。

それが僕の師匠になっていただいたわけです。

まぁ、今までの機械縫製のスーツとの着心地の違いにびっくりしましたね。そして縫い方の違い。八刺しをまじかで見たり、穴かがり、衿つけ、まぁこんなにも違うものかと思いました。28歳にして何とも無知な自分が悲しくなりました。スーツの誂え屋をいきって出したのにも関わらず、こんな事も知らん自分が・・・・。

師匠の所へ仕事を持っていって、師匠の仕事を見る!衝撃でしたね。

これなら関さんの靴に負けないスーツが出来る!!!これで、完璧やなんて思っていました(笑)

それで、しばらくして以前に作った機械縫製のスーツすべて処分しました。

これが一回目の改革です。

こんときくらいからですかね、スーツの衿がでかくなって行ったのが(笑)靴のインパクトに衿が小さいと負ける。足下と胸元にインパクトみたいな感覚が自分の中で芽生えて、8~8.5cm位の衿から一気に2~2.5cm位大きくなりましたよ(笑)

そして、師匠と知り合ったその年の11月から、僕のスーツ修行が始まったわけです。

そして・・・

2011 年 10 月 5 日 6:06 PM /by Oguri

関さんのモノ作りを体感してから、インポートものからすぐに離れて国内のモノ作りを中心に出来たわけではない。

勤め人として、会社の意向に背く事はできない。そもそも、関さんの靴が出来たのは、会社としてはロットが少ない事と、

僕のいた店での販売オンリーだったからである。

僕のいた店の顧客は、新規を除いては僕の顧客さん達である。その方々は、鞄よりも服や靴が好きであった。皆さん、色んな靴を試している方々だったので、関さんの靴への反応が早い事ったらありゃしない。

今でも思い出すのは、お客さんの”何これ!何処の???カッコエエやん!!!”という反応であった!!!

今よりも靴の情報がほとんどない時代!そこへ来て僕が、聞いた事のない職人さんの名前を出す。しかも国内の職人さん、戸惑いを隠せない顧客の面々。面白かったな〜〜。今と違い、ブランドの力よりもそのものの力に引かれ、そして何よりも人とは違うものを求めていた。それに、皆さん靴好きだったので、ノーマルな一文字、ウイングチップ、プレントゥなどはもちろんの事、所有されていた。だから、新しい靴を求めていた。

試しの展開だったのでフロイデンベルグの黒 5 ~8のハーフ刻み、Dupuyの焦げ茶同じサイズ展開。

小さい店ではあり得ない、すぐに完売!!!

ちょうど、その頃に他の人をすっ飛ばして、イタリアのピッティ−に連れて行ってもらう事になった。

初めての海外の展示会!わくわくしましたね。世界のバイヤーが集まる最大規模の展示会!!!

上司二人は前入りしてミラノ!僕は、後から一人で入る!!何でやねんっておもっていました。

ちゃんと迎えに来てくれるのか???でも、来なくてもなんとかなるかなって!!!

この出張で色々ありましたが、初めてのピッティで感じた事は、思ってた予想を遥かに超え、盛り上がっていない!!!

本気で発注かけてると思っていたのに、誰も発注している様子がない・・・・。何やねん!!!

僕の上司は、自分の中の良いブランドの人たちとくっちゃべってるだけ!!!

で、僕への指示は3日かけてもう一人の上司とブランド、アイテムのピックアップ!!!

探しても中々バッティングしないブランドはない。その時に、ブランキーニ氏に出会いました。確か、初出店だとか言ってたんちゃうかな、ボノーラは底付けのパフォーマンスをしていましたね。

で、三日かけてピックアップしたブランドすべて却下。いつもの付き合いのあるブランドで発注。何しに行ってん俺!!!

この会社にいててもしゃあないと感じ、帰国してからしばらくして退社!!!

すげ〜〜社長に怒られました!!!!

ネチネチネチと説教!!!でも、辞めちゃった!!!

それから、国内のもの作りのパートナー探しのはじまりです!!!!

出会い

2011 年 10 月 1 日 9:29 PM /by Oguri

僕が日本の職人さんの技術の高さに惚れ込んだきっかけは、関さんの靴からでした。
18歳の後半から服飾業界に入り、それまではずっとインポート。
インポートのライセンスや国内の製品なんかも着てましたが、どこか小馬鹿にしている自分がいました。

靴にしても、当時は国内生産で高級靴を生産してるなんて知らず、やれクロケット、オールデン、トリッカーズ、
エドワードグリーン、ジョンロブこれらを収集するのに必死でした笑。
パラブーツ、ダナー、トニーラマ、シルバのマッツア、とかもあったかな。

当時は、英国靴が好きで、ストレートチップ最高なんて思ってた時期もありましたかね笑
で、どんどん色んな事を知り、欲が出てくると、まずデザイン面で、欲しい靴がない。
革がこんなんで、ブーツでとか!!!

それから、仕事を点々としひょんな事からイタリアの某鞄屋への勤めが決まりました。
そこでは、衣類のバイイングと鞄の企画なんかも出来るという事で、あっさりと大手セレクトを
辞めてそっちへ移ったわけです。もちろん、給料はだだ減り。生活できなかったな〜笑

バイイング言うたかて、引っ張って来ているブランドを店用の発注のみですから、会社としては
リスクも最小限、ましてや予算も少ない店だから、たいした事ないんですけどね。
でも、当時の僕からすればすべてが新鮮だったんです。鞄の企画も、した事ないのに喜んじゃって。

それからしばらくし、社長にがんばりを認めてもらい国内の仕入れならやっていいと言われました。
じゃぁ、まずやりたかったのが靴!当時の会社の方々は、まぁ、ひどい靴を履いてた。
なんでアパレルやのにって位ひどい。それ何処のって感じです。
理由は、靴やってこけてからあんまし仕入れる事なくなったそうです。

OKをもらった僕は、うれしくて仕方がない。ほな、インポート入れてるとこに別注やろ!って意気込んじゃって!!!
しかし、現実は少数での別注なんてありえない。ましてや、提案したかったのが編み上げ(笑)
今もそうですが、紐靴!特に編み上げが僕好きなんです!!!
どこ聞いたかって、当時編み上げなんか少ない少ない。ましてや別注でしょ、できへんできへん。
そんな時、あるメーカーさんを紹介して頂き、伺った先で目にしたのが、関さんの靴でした!!!!

まぁ、びっくりしましたよ!!!何て綺麗な靴なんだって!!!!

ほんま、僕が今までお金をかけてきたインポートの靴達がしょぼく見えた事!!!!
知らん事は、ある意味幸せ。でも知ってしまえば、学ぶ事の喜び!!!!

初めて別注したのが、フロイデンベルグのボックスカーフの黒とデュプイの焦げ茶。そして製甲は特殊なモカ(銀掬い)の編み上げブーツ!!!
当時の僕は、黒と茶を両方同じものでそろえるのに凝っていました。笑えるでしょ、僕が茶!!!!今では、皆さん想像もできないと
思いますが。茶好きやったんです。

いまでは、黒、赤、白、それに紫ってな感じで揃えています(笑)

そこで、見せてもらった関さんの数々のサンプル衝撃的でしたね!ほんまベーシックな一文字、ウイングチップ、ドーウ”ァー、
どれを見てもまさってました、間違いなく。

それからです、日本にもこんな職人さんおるんやって!!!!自分の考え方が180度変ったんですよ。
今までのインポートから国内の職人さんの技術へ!!!

そして、その別注の靴が上がってきて、いざ履いてみると、これまたものすごく良いフィッティング。
足は痛くないし、締めてる所はちゃんとしまってる(当時の感覚です。今はもっと精度が上がっています)
今まで履いきた靴達はなんやってん!!!今までは、革靴は、なじむそして中底が沈んでちょうどようなる
てな概念をもっていましたが覆りましたね。痛うて履けへん。履いたそばからキツいで、夕方になると痛い。
これがインポートの既製。でも、これが普通だと勘違いしてたんです。

それからです、僕の人生が急激に国内職人集団に目を向け行動しだしたのは!!!!
日本のもの作りは、決して海外のモノ作りに負けないと!!!!